行事の記録

江戸時代の人々の暮らしと感染症             講師 奈良女子大学教授  鈴木 則子氏

 徳島県立文書館では、文書館の逸品展「徳島の歴史資料に見る感染症」の関連行事として歴史講演会を開催しました。 講師の鈴木則子先生は江戸時代における感染症の流行と庶民の暮らしをテーマに研究を深められています。
 講演では、感染症が江戸時代では日常的な脅威になっていたこと、現代とは異なる医学大系と身体観をもつ人々が感染症をどのように認識し、対応しようとしたのかをお話しいただきました。
(講演要旨は『文書館だより』43号に掲載)



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災害の記憶と記録

講師 岡山大学名誉教授  倉地 克直 氏


 令和3年2月28日(日)、岡山大学名誉教授 倉地克直氏を講師に招いて、イベントホールで歴史講演会を開催した。
 講演では、(1) 明治以前の災害関係史料を見れば、それぞれの時代の事情によって史料の残存に多寡が生じていること、(2) 被災時における「自助・共助・公助」について、(3) 人はなぜ記録を書くのか、について話された。
 (1) は、噴火・津波は江戸時代に情報量が増加しているが、地震は古代・中世の史料に記載が多い。 これは貴族層の「恐怖感」が日記等への記述を促したこと、大風・洪水は江戸時代に多くなるが、これは大河川下流域の耕地開発が進んだため大規模水害を被りやすくなったことが背景にある。
 (2) は、自助・共助・公助は序列的なものではなく、より重層的で複雑なものであり、江戸時代には「公儀」の主導でそれぞれの集団が「分」に応じた役割を果たすシステムが作られていた。 公助のもとで共助・自助がうまく機能する。
 (3) は、基本的にかけがえのない「家」や「村」を守るため、子孫のために書いたが、庶民が自らの災害体験を記録として残すようになるのは元禄頃からである。 この頃になって村の仕組みが整い、家の暮らしも安定するようになるからである。 しかし、明治以降になると一般の個人による災害記録は少なくなる。「家」や「村」の重さに変化が生じたり、科学的な知識や情報量が増えたことで記録を書くことへの切実さが薄らいだ結果なのだろう。 それでも、過去の記録をどう読むかは私たちに問われている重要な課題でもあるが、阪神淡路大震災以降に自らの被災体験を書き残す例が増えてきた。 また、東日本大震災でも葬儀社がどのような対処をしたのかを出版したように「実務記録」は今後重要性を増していくだう。
(講演要旨は『文書館だより』42号に掲載)



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大阪管区気象台より感謝状を授与


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授賞理由:古文書研究および講座等を通して南海トラフ地震と
      津波の知識を普及し地域防災の重要性を啓発した功績

   
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当館 石尾和仁館長(写真左) 徳島気象台 明田川保台長(写真右)

 写真は、文書館にて行われた6月10日(水)授与式のようすです。  
 
 

庚午事変とその関係文書からの問いかけ

講師 松本 博 氏


 「庚午事変・稲田騒動」という事件はあまりに複雑で一言でお話しすることはとても難しいことです。しかも民衆(収奪されている人。抑圧を受けている人。差別を受けている人。この時代をもう一歩前へ進めていきたいと思っている人。この様な人たち全て。)の姿を研究対象としていた私は、「庚午事変・稲田騒動」の研究からかなりの期間離れていました。この事件については多くの諸先輩の方々がたくさんの資料を紹介していただいていますが、どうも民衆の姿が見えてこなかったのです。しかし、今回の文書館の展示に向けての勉強会の過程で、少しだけ民衆の姿が見え始めてきたのではないかと感じます。例えば、国立公文書館が所蔵する公文録の検討から、洲本襲撃に士族でない身分の人たちである農兵が1,478名参加していることなどが判明したのです。


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外国人と四国遍路−過去から現在まで−

講師 徳島文理大学 デイビット・モートン 氏


はじめに
 今回は大正時代から現在までの外国人遍路についてお話ししたいと思います。
 今日、多くの外国人遍路が四国を廻っています。87番札所長尾寺と88番札所大窪寺の間にある「おへんろ交流サロン」によると、ここ数年毎年約50人の外国人遍路がこのサロンを訪れていて、その国籍は世界中から17カ国に及んでいます。私は25人くらいの外国人遍路と会っていますが、その動機はまちまちです。また、四国遍路ほど安全な巡礼は無いと彼らはいっています。


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