行事の記録

「おさざや往還道大破一件」
       −美馬郡西端山(現つるぎ町)組頭庄屋谷家に残る3通の文書より−

 「おさざや往還道」は、美馬郡貞光の街から西端山の山の尾根筋を通り一宇山に入り一宇山奥分に入った辺りで二手に分かれ、西へ向かう一方は小島峠を越えて東祖谷へ、東へ向かう一方は木屋平峠を越えて木屋平に抜ける道である。祖谷・剣山へ向かう最も一般的なルートであり、阿波の広大な山岳部と平野部を結ぶ幹線でした。


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「年貢を運ぶ道」

 「通船切手」は通運の際に必要不可欠なものです。年貢の場合、切手が年貢であることを証明し、御分一所で関税(分一)が徴収されないという役目も担っていました。文書により差違は認められるものの、切手発給を願上げる際には 米の数量(複数の船に分かれる場合はその内訳も)、どこの年貢か、誰の年貢か、運び出す場所・納め先、年貢を運ぶ者の名前(船主の名前)、日付、宛先、差出人などが記入されていました。年貢を納める流れを知る事が出来る文書を2つ紹介します。


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藩主巡国と村人の生活

 文化10年(1813)9月、阿波守に任ぜられた12代藩主松平斉昌が、吉野川流域を巡見した時の記録が美馬郡半田町(現つるぎ町)の大久保家文書の中に残されています。
 これは、文化12年(1815)亥2月に半田村の大久保太兵衛によって作成された「此度御通行被遊ニ付諸役人役割名面御触并ニ村内役割写覚」(オオク00827)です。史料の記述に従って紹介していきます。


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阿波の伝馬(てんま)てんま(てんま)関係史料 〜美馬郡東端山の武田家文書より〜

・阿波の伝馬について
  江戸時代、阿波では藩の公的な手紙や荷物は「伝馬」制度を利用して運ばれていた。街道筋に「伝馬所」が設けられ、伝馬所ごとに荷物等を継ぎ送りしていた。その際、実際に荷物等を運んでいたのは、伝馬所周辺の村の百姓たちである。彼らには伝馬役が課せられ、百姓の夫役(労役奉仕の義務)として伝馬所の勤めを果たしていたのである。


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