過去の展示

![]() |
令和5年1月31日〜令和5年4月23日
小松島の大商人であった西野家・多田家には多くの蔵書が残されていました。多種多様な資料の中から、貴重な本の数々を紹介します。 |

![]() |
令和4年10月25日〜令和5年1月29日
身分制度が厳しかった江戸時代、徳島の農村には、初期から半士半農といえる郷鉄砲という役が置かれていました。一宮家文書を中心に郷鉄砲の役割とその生活を紹介します。 |

![]() |
令和4年8月2日〜令和4年10月23日
現在、学校の統廃合が進んでいます。文書館は学校の公文書は地域の歴史を知るための重要な資料と考え、収集・保存に当たってきました。公文書から見える県内の学校を紹介します。 |

![]() |
令和4年4月26日〜令和4年7月31日
明治・大正・昭和期の県内の風景は、現在とは大きく違っていました。徳島・撫養。富岡・脇町・池田など、昔から「町場」として人々の生活とともに栄えてきた地域の古写真を展示します。 |

![]() |
令和4年2月1日〜令和4年4月24日
徳島県内には、様々な感染症の恐ろしさとその対策を行ってきた歴史資料が残されています。医術家・薬屋の史料や村々の古文書などから徳島における感染症の歴史を紹介します。 |

![]() |
令和3年10月26日〜令和4年1月30日
吉野川と旧吉野川にはさまれた中島にある、板野郡住吉村(現・藍住町)の山田家は、地域の組頭庄屋として幅広い任務をこなしてきました。吉野川に関する絵図や古文書を中心に紹介します。 |

![]() |
令和3年8月3日〜令和3年10月24日
廃藩置県が行われた明治4年から刊行が始まった「徳島県報」は、現在まで百五十年間続く徳島唯一の刊行物です。徳島の歴史を記録してきた「徳島県報」の内容や歴史的意義を紹介します。 |

![]() |
令和3年4月27日〜令和3年8月1日
戦前戦後の絵はがきからは、当時の華やかな徳島の姿を見ることができます。取り上げられているテーマや地域も多様です。過去を懐かしんだり、現在との違いを見つけたりして楽しんでください。文書館の新収蔵資料を中心に紹介します。 |

![]() |
令和3年1月26日〜令和3年4月25日
古文書や公文書と言った歴史資料は、徳島を襲った なまなましい自然災害の実態を伝えてくれます。当時の自然災害に対する人々のまなざしや被 害の実態、復興の過程などを史料から明らかにします。 |

![]() |
令和2年10月27日〜令和3年1月24日
文化の森は、令和2年11月3日に30周年を迎えました。 図書館・博物館・近代美術館・二十一世紀館・鳥居龍蔵記念博物館の6館がひとつの公園に同居し、各施設が様々な文化的発信を行い続けてきました。 ポスター・チラシから図録・冊子まで、文書館が収集した資料から、文化の森の30年を振り返ります。 |

![]() |
令和2年8月4日〜令和2年10月25日
江戸後期の阿波にとって藍作は産業の柱でした。 そこには独特な生産の仕組みがあり、日本全国に広がる独特な販売網がありました。 文書館が所蔵する古文書などによって、オリンピックで再び脚光を浴びる藍の主産業としての側面を紹介します。 |

![]() |
令和2年4月28日〜令和2年8月2日
引き札は、明治から大正期に流行した、商店の広告です。個人商店のものが多いため、街ごとの商業の様子を知ることができます。 故・三舟哲治氏は、徳島県内を中心に引き札を精力的に収集し、残されました。その1,000点を超えるコレクションの中から、歴史的に興味深いものや印象的なものを紹介します。 |

![]() |
令和2年1月28日〜令和2年4月26日
明治以降現代に至るまで、徳島県内は幾度も風水害に見舞われてきています。県の公文書・市町村の公文書や印刷物を中心に近代以降の風水害を取り上げます。 |

![]() |
令和元年10月29日〜令和2年1月26日
阿波国南部の郷町であった富岡(現・阿南市)で、吹田家は屈指の豪商でした。年貢米などを商い、蜂須賀の殿様が南部の巡見などに回る際には、本陣として宿泊をするような屋敷でした。一万点を超える吹田家の文書の一端を紹介します。 |

![]() |
令和元年8月6日〜令和元年10月27日
文政12年、阿波国牟岐浦に見知らぬ異国船が現れました。阿波の国々は大事件に対処するため大きな騒動となりました。このほか阿波南部の海岸線には何度か異国船が現れています。残された文書からこうした事実を紹介します。 |
次のページ>>