文書館の逸品展「公文書に見る徳島の風水害」Web展示解説2

『明治より徳島県に襲来した台風の記録』


 徳島県に影響する大規模な風水害は、そのほとんどが台風です。 四国は、九州と並ぶ台風の常襲地帯で、四国に影響を及ぼす台風は年平均2.7個、 近年、昭和・平成の93年間だけでも約250回あまりの襲来をうけたことになります。
 台風による風害は、樹木の倒木、農作物の倒害、建築物の損害等があります。 また、水害には浸水、交通路や建築物等の流失及び損壊などがあげられ、 人的被害につながることも多く、甚大な災害に結び付くと恐れられてきました。
 今回の展示では、当館が独自に選定した明治・大正の主な台風7選、 及び昭和・平成の台風20選について、台風進路や被害実態を記録文書や年表を パネルにして分かりやすく表示しています。

【手書きされた室戸台風の天気図(颱風概況より)】

 台風の進路と被害状況は密接した関係にあることは、県民の方ならご承知のとおりで、 記憶とともに少し実感していただけるでしょう。1934(昭和9)年7月の室戸台風の襲来で 甚大な被害が出たことから、その2年後の1936(昭和11)年、富士山剣ヶ峯に気象観測所が設置されました。 以降、台風の発生検知や進路予測が可能になり、台風や低気圧による気象データから風水害の検知や進路予測は 格段に高まったと言われています。
 本県の洪水記録が詳細に残されているのは、1945(昭和20)年以降からとなります。 1945(昭和20)年の枕崎台風は高知県を中心に大雨を降らせ、これに伴って吉野川の水位が上がり県内流域でも各所で警戒水位を大きく上回りました。 下流部では堤防の漏水、ひび割れ、護岸の破壊などが発生し、特に、徳島市では、戦災後の仮小屋がほぼ全て倒壊しました。
 1954(昭和29)年9月のジェーン台風では、短期間に大雨を降らせ、空前の大洪水を引き起こしました。 池田町イタノでは、吉野川が警戒水位を突破して最高15.8メートルを記録し、上流の三好、美馬、麻植郡等では家屋の倒壊や流失被害が続出しました。 吉野川本流の堤防も各所が決壊寸前となったものの、洪水予報等の措置により人的被害は少なかったと言われています。
 1961(昭和36)年9月の第2室戸台風では、典型的な天井川となっている宮川内谷川が、上板町で破堤し、付近一帯に浸水、土砂の流出の被害が発生し、 各地で内水氾濫が発生しました。

【第2室戸台風の進路と被災記録(パネル展示より)】

 その後の、1970(昭和45)年8月の台風10号、1974(昭和49)年9月の台風18号などでも出水を引き起こし、 1975(昭和50)年8月の台風6号は、本県全域に激しい降雨をもたらし、吉野川が増水して下流部で内水氾濫を引き起こしました。 1976(昭和51)年の台風17号の際には木頭村日早で観測史上最大の降雨が観測され、本県では最大級の被害が発生しました。
 近年では、1993(平成5)年7月と8月の台風、1994(平成6)年9月の台風により人的被害と住宅被害を受けました。 また、2004(平成16)年には台風10号、16号、23号と続く襲来により、日本の日降水量の記録を更新させ、 那賀町木沢一帯で山腹崩壊が深刻な被害を山間地に及ぼしました。
 平成も後半に入るころ直接的な台風襲来の数は減り落ち着いたように見えましたが、2014(平成26)年の12号・11号水害では、 阿南市加茂谷地区で浸水位27.1mまで冠水し多くの建物が水没したことは記憶に新しいところです。

 毎年のように絶えることのない台風の襲来、風水害の発生の中で克明に記録し残された公文書を 「文書館の逸品展」として紹介しています。様々な公文書から徳島で起こった風水害の被害状況の把握と、 復旧に向けての被災者や救護者の懸命な姿をうかがい知ることができます。

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