「写真で見る“ちょっと昔”の阿波の名所」展  〜わたしの一枚〜 (4)

                                              郷土出版社 提供

  昭和30年代の半ばごろ、 高校への進学率は徳島ではまだ6割ぐらいで、 卒業するとすぐに就職する生徒が多かった。経済成長期に突入したこの時代、貴重な労働力として就職する中学生たちは引く手あまたで「金の卵」といわれた。 中学を卒業したばかりでまだ若い少年少女たちは、徳島から小松島港から集団でテープと歓呼の声に送られて故郷を出発した。戦後日本の驚異的な高度経済成長を支えたのはこの若い戦士たちであったことを忘れないでおきたいと思う。
(立石 恵嗣)