「写真で見る“ちょっと昔”の阿波の名所」展  〜わたしの一枚〜 (1)

                                             徳島県観光課 提供

  小学校にプールのなかった時代、夏休み前の数日間は北の脇で「臨海学校」が開かれた。学校から海水浴場まで歩き、松林の中で着替え、「命札」を砂浜に並べて海に入った。泳ぎよりも波打ち際での追いかけっこや砂遊びに興じた。 最後には定番のアメ湯。塩っぱい唇と冷えた身体への甘く熱いお愉しみが用意されていた。 泳ぐことのできない春 ・ 秋の季節にも遠足に来て、松林や砂浜で「陣とり」をしたりお弁当を広げたり、私たちにとって北の脇は「第二の校庭」であった。昭和35年チリ津波に襲われた後、防潮堤が造られ「白砂青松」の景観は変わったが、いつまでも子どもたちの歓声が聞こえる浜であって欲しい。
(計盛 眞一朗)