特集「村の公文書」展 (神山町郷土資料館所蔵資料より) 6 (下)

book日本にあった陪審員制度 
        −昭和2年 陪審員関係書類から見た−(下)
 「昭和2年 陪審員関係書類」の表紙をめくると、まず司法省の刑事局が大正15(1925)年3月に作成した「陪審裁判とはどんなもの?」と「陪審制度の話」というパンフレットがつづり込まれています。「陪審制度はどんなもの?」は活字も大きくルビも振られており、多くの人に読んでもらうものとして作られています。このパンフレットには当時導入しようとしていた陪審員制度の特徴がほぼ盛り込まれていますので、紹介していこうと思います。
1 陪審裁判はいつから行われるのか。
 陪審員法の法律が大正12(1923)年4月に制定され、5年後の大正17年(改元されたので、昭和3年)の見込みとしています。実際に昭和3(1928)年に施行されました。陪審制用の法廷の新築など、準備には時間とお金がかかりました。

2 陪審裁判とはどんなものか
 日本の陪審員裁判は、地方裁判所で行われるやや重い刑事裁判に、専門の裁判官にくじ引きで当たった一般の人々が12人が加わって行われます。法廷の審理、弁論が行われたあと裁判官の出す問題に陪審員が答えを出し、その答えに基づいて裁判官が裁判を行うことになっています。しかし、裁判官が陪審員の答えに拘束されないなどの問題がありました。

3 陪審ではどんな事件を裁判するのか
 放火、殺人など死刑もしくは無期懲役・禁錮などに処せられることのある事件の場合は通常陪審に掛けられます。また、3年より重い懲役・禁錮に処せられることのある事件の場合、被告人の請求により陪審に掛けられます。ただし、被告人が自白した場合、選挙に関する罪、騒擾罪などの特殊な犯罪は陪審に掛けません。被告人の選択ができることや、自白した場合陪審裁判に掛けられなかったため制度上欠陥があったといわれています。
     
4 陪審員にはどんな人がなるのか
 ①日本国民で30歳以上の男子、②2年以上の同じ市町村内に居住している、③2年以上直接国税を3円以上納めている、④読み書きができること。というかなり厳しい4要件になっています。さらに医師・教員・学生・市町村長など特別な職にあるものは除かれており、一部の村の名士と呼べる人の中から選ばれていたことがわかります。

5 陪審員はどうして定まるのか
 まず、市町村長が陪審員名簿を作り、名簿の中から地方裁判所長が決めた人数の陪審員候補者を抽選します。その陪審員候補者名簿が地方裁判所長に送られ、公判が決まると名簿の中から36人が呼び出され、検事と被告人が12人を選任するという手続きによって決まります。  

6 陪審裁判の模様
 公判は、裁判官・検事・書記・陪審員・被告人・弁護人列席で開かれます。陪審員の宣誓で始まり、検事の冒頭陳述、裁判長による被告人尋問、証人尋問、証拠調べ、検事の論告、弁護人の最終弁論で弁論が終了します。その後、裁判長が陪審員に事件の説明を行い、陪審員へ質問します。その質問を陪審員が別室で評議し、答申を作り、裁判長に提出します。その後、それを元に裁判所が刑を言い渡しますが、裁判官が陪審員による答申が不当と考えたときは、他の陪審の評議に掛けることにすることもできるなど、答申に拘束力がないという問題点がありました。

7 陪審員の心得
 ①陪審員は必ず裁判所に出頭しなければならないが、病気その他やむを得ない事情があるときは、手続きを踏んで辞退できた。②陪審員は事件について他人の請託や意見を聞いてはいけない。③陪審員は裁判において公平誠実に職務を行うことを宣誓しなければならない。④裁判に列席した陪審員は、評議が終わるまで私語や退廷は許されない。⑤陪審員は予断を持たず、公判にあらわれた証拠によって事件を判断すること。⑥陪審員は裁判の模様などを他人に漏らしてはならない。と6つの心得をあげ罰金などの罰則規定があることも記しています。

表紙
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目次
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3ページ
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奥付
奥付
「陪審制とはどんなものか」「昭和2年 陪審員関係書類」より

 陪審員制度には制度上の問題点もあり、制度維持に多額の費用を要するため、戦争の遂行に支障を来たす恐れがあったことにより、昭和18(1943)年に「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって停止されました。
 その後も形を変えて、司法への国民参加を促す陪審制が戦後も検討されてきましたが、制度的な欠陥を見直し形を変え、裁判員制度としてその導入が近づいています。われわれはもっと身近な問題として関心を持つ必要があるのではないでしょうか。

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