公開公文書の中から 【第2回】

  明治期の寺社関係公文書(1)
明治5年9月改、
 阿波国10郡分天台・禅・浄土・真宗・日蓮・律宗 寺院本末明細帳


 徳島県立文書館は、残念ながら戦前の公文書をほとんど所蔵していないが、10冊だけ明治に徳島県などが作成した寺社に関わる公文書が公開されている。県の公文書として非常に貴重なこれらの公文書を1冊ずつ紹介していく。まず1冊目は、明治5年に作成された阿波国10郡分の天台宗・禅宗・浄土宗・真宗・日蓮宗・日蓮宗・律宗の寺院本末明細帳である。


 明治5年(1873)の調査で作られたこの帳簿は、名東県の作成となっている。結局、徳島で一番多い真言宗の寺院を除く寺院がほぼ網羅されているといってよいだろう。まだ江戸時代の名残が十分に残っている時期の明細帳といえる。書かれている文字などが違っており、各寺に書かせて提出されたものを綴じたものである。赤で訂正が入れられている。
 記されている内容は、①宗派、②住所、③山号、④寺院名、⑤本山名、⑥寺の由緒、⑦住職の名および略歴、⑧弟子等の名および略歴、⑨境内地の広さ、⑩檀家の軒数となっている。
 
次に代表的な寺に関する記述を見てみよう。
 まず、蜂須賀家の菩提寺と知られる興源寺の記述である。




              禅宗臨済派
                名東県管轄阿波国名東郡下助任村
 本山   大雄山
一 妙心寺末 中本山        興源寺
 天正十四年丙戌五月創立始ハ南禅寺末ニテ江岸山福聚寺ト
 云、東岳栄俊ヲ開祖トス、第三世ヲ経テ慶安三年庚寅十月
 度会県管轄伊勢国度会郡山田正法寺住持廣山転住ノ
 後如本文之ヲ改ム、此度妙心寺末ニ属ス、仍テ廣山ヲ中興開祖トス
 本山開祖関山国師第十三世ノ孫也

 この他このときの住職が16世眉山であったこと。前住寺で隠居の琴堂が同居していたこと。その他5人の弟子があったこと。境内が3町7反8畝3歩、檀家が40軒あったこと。塔頭として慶徳院という寺が境内にあり檀家が70軒あったことがわかる。

 次に丈六寺の記述を見てみよう。  




禅宗曹洞派
名東県管轄阿波国勝浦郡本庄村
 本山               瑞麟山
一 永平寺末 中本山         丈六寺  
 創立白鳳年中天心尼開基、本尊丈六之観世音ヲ彫刻シテ伽藍ヲ建立今ニ
 伝来明著ニ候、中興天文年中金岡禅師禅宗曹洞派ニ改ム、常恒会免許
 勅特賜色衣有之  勅許等寺格無之
(以下略)

 さらに26世住職惟僊のこと。弟子が7名あったこと。境内が1丁6反6畝4歩、檀家が96軒あったことなどがわかる。

 興源寺や丈六寺は中本寺とある大きな寺だが、これらの寺にはさらに末寺が記載されており、各宗派の教線の広がりなども追うことができる貴重な史料であるといえる。

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