開館10周年記念 特別展
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関 寛斎(1830〜1912)

関 寛斎
幼名豊太郎
のち務、寛斎、寛
号白里
(1830〜1912)

 徳富健次郎(薦花)作『みみずのたはこと』の中に、「明治四十一年四月二日の昼過ぎ、妙な爺さんが尋ねて来た。北海道の山中に牛馬を飼って居る関と云う爺と名のる鼠の目の様に小さな可愛い眼をして、十四、五の少年のように紅味ばしった顔をして居る。長い灰色の髪を後ろに撫でつけ、あごに些の疎髯をヒラヒラざせ、木綿ずくめの着物に、足駄ばき。年を問えば七十九。強健な老人振りに、主人は先ず我を折った。」と出ている。その後、肝胆相照らした2人の親交はすすみ、明治43年9月24日、網走線が陸別まで開通するのを待ちかねて、蘆花は妻愛子、娘鶴とともに斗満の関寛斎を尋ねている。
 関寛斎の何が、どこがかくも文豪蘆花を魅了したのであろう。

蘆花のみならず、今日に至るまで多くの人々の心を引きつけてやまないのは何故なのであろうか。彼が、「骨も身もくだけて後ぞ心には永く祈らん斗満の賑」と辞世に詠った陸別には、北を指さす「関寛翁像」が中央公園にあり、青竜山には「関寛翁碑」が、そして陸別駅舎に関寛斎資料館がある。またわずか2歳の時に死別した亡き母を死の直前まで慕いつづけ、「嬰児が泣く度毎に思うかな負われし時の母の面影」と詠った千葉県東金市の中央公園には、静かな意志を秘めた姿の「関宵斎翁之像」があり、文久2年から明治35年まで40年間住み、御典医として、町医者として活躍し、のち陸別にありて、「世の中を渡りくらべて今ぞ知る阿波の鳴門は浪風ぞなき」「秘め置きて楽しみとせし鯛味噌に心は戻り鳴門にぞゆく」と感慨した徳島には、城東高校内に「慈愛進取の碑」があり、福島川河畔には医学書を抱えた若き「関寛斎先生」像がある。日本の3か所で、その全人生に渡って顕彰されているのは、人聞としての関寛斎の生き方に、人々が感銘を受けるからであろう。
 養父関俊斎の志「およそ人生きてはまさに常に世に稗益するを志すべく、死しては速やかに朽ちるにしかず」を受け継ぎ、「人以苦楽為本」と辛苦を厭わず、人のため、弱者のために尽くすことが、自らの人間的完成と考えていたのであろうか。
 明治35年4月14日、関寛・あい夫妻は徳島を出立、はるかな北の大地をめざした。寛斎は72歳、もはや楽隠居の年齢であり、なお徳島で医業をつづければ、財産もあり収入も随分なもので、豊かで平穏な老後が約束されていたにもかかわらずである。

斗満北三線十六番関牧場(鈴木要吾『関寛斎』より)

斗満北三線十六番関牧場
(鈴木要吾『関寛斎』より)

 すでに北海道には、明治25年に七男又一が、札幌農学校に入学しており、同27年には、石川郡樽川殖民地原野第七線20ヘクタール(町歩)の貸付を受け、樽川の関農場は最大108ヘクタールにまで拡大していた。しかしこの農場は入植した小作人たちにまかせ、明治34年、さらに北海道の奥地、十勝・釧路国にまたがる、陸別原野(斗満原野を含む)1377ヘクタールの貸付けを受け、同39年には、石原六郎、神河庚蔵、三木興吉郎ら徳島関係者の貸付地も含め、開拓許可面積は7203.69ヘクタールに及んだという。うち、1011ヘクタールが同42年、寛斎の息子、周助・餘作・又一名義で成功付与を受けている。
 同35年8月5日、寛斎は妻を残し、餘作とともに札幌を出発、同10日に斗満に到着、開拓に入った。開拓の労苦は『十勝国中川郡本別村字斗満関牧場創業記事』に語られている。息も出来ないほどの小虫がまといつき、虫害、兎害、熊害に遭い、同37年6月、妻の死目にも会えず、「亡き魂よ、ここに来たりて、諸共に、幾千代かけて駒を守らん」と妻の魂に呼びかけ、妻もまた斗満の寛斎とともに骨を埋めることを遺言していた。この年、又一は日露戦争に出征して留守中であったが、原因不明の病気で、次々と飼馬が倒れ、関牧場崩壊の危険に瀕したこともあった。そんな中でも医者として地域の開拓民やアイヌの人たちの治療に出向きまた種痘を施した。
 寛斎の願いは、関農場で働く人たちのために各自十ヘクタールを所有する自作農を創成し、彼らとともに積善社と名付ける、モラルを実現する理想的農牧村落を作ろうと考えていたのである。これに対し、札幌農学校出の又一はアメリカ式大農場の建設を夢見ており、さらに、家族間の葛藤、そして自らの身体の衰弱にも耐えられず、大正元年10月15日、斗満の自宅に亡くなった。82歳であった。「身は消えて心は残るキトウスと十勝石狩たけの間」、寛斎の死後の希望である。

関寛斎三像

上:陸別の関寛斎翁之像
左:東金の関寛斎翁之像
右:徳島の関寛斎先生像

 

 

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