第31回企画展 『暮らしとみち』 展示解説の資料3

「年貢を運ぶ道」

 「通船切手」は通運の際に必要不可欠なものです。年貢の場合、切手が年貢であることを証明し、御分一所で関税(分一)が徴収されないという役目も担っていました。文書により差違は認められるものの、切手発給を願上げる際には 米の数量(複数の船に分かれる場合はその内訳も)、どこの年貢か、誰の年貢か、運び出す場所・納め先、年貢を運ぶ者の名前(船主の名前)、日付、宛先、差出人などが記入されていました。年貢を納める流れを知る事が出来る文書を2つ紹介します。


      覚
 一米拾弐石也      米蔵船
   同五石也 源太郎船
 右者山崎出羽様当秋御年貢之内
 米蔵・源太郎船ニ而積廻候ニ付御切手奉願上候、
                              以上
   子極月十二日  取立人
               岡本市蔵?
      若槻富太郎様

    

《解説》
 「山崎出羽様の今年の秋の年貢として、米12石を米蔵の船に、米5石を源太郎の船にそれぞれ乗せて運び出しますので、切手を頂戴できるようお願いします。」と取立人の岡本市蔵が若槻富太郎に宛てたものの覚です。この文書から作人たちが作った米を、取立人である岡本市蔵が集めたのち、若槻富太郎(組頭庄屋もしくは組頭庄屋助役か)に切手発給を願い出たことが窺い知ることができます。(ニシサ00087)




    乍恐奉願上覚
             板野郡 
一米五拾石              西条村
右者那賀郡坂野村百姓共手作米之内、当村
                右村
芳右衛門買集米板野郡西条村当秋御年貢米ニ
        和田嶋川口
売渡申候ニ付新御蔵江積廻之儀奉願上候間、
何卒御慈悲ヲ以御聞届被 仰付被為下候得ハ
難有仕合ニ奉存候、乍恐右之段書付ヲ以奉願上候
                        以上
          坂野村組頭庄屋助役
             若槻富太郎
  慶応三卯年十二月
那賀海部
 御郡代様御手代
   湯浅周作殿
   小出黙太殿


   

《解説》
「那賀郡坂野村の百姓が作った米50石を芳右衛門が買い集め板野郡西条村の今年の秋の年貢米として売り渡しましたので、和田島川口から積出したく思っておりますので、どうかお聞き届け下さいまして、積み出させて頂けましたならば有り難き幸せでございます。」
と、坂野村組頭庄屋助役若槻富太郎から那賀海部郡代の手代湯浅周作・小出黙太に願い上げた文書の覚です。自身の割り当てられていた年貢が払えない場合、余所から買い上げるなどして手配し、その村から直接納められたことがわかります。(ニシサ00872003)

 
3kakukankeizu
庄屋にはその権限はあったのか?郡代の権限だったのか?それとも別の者だったのか?
現在のところ、明確な答えは分からず、これからの研究課題といえる。

--------------------------------------------------------------------------------------?2006.10 西村美保